京都滞在3日目です。(^-^)
爆睡したものの夜中何度も目が覚めては寝ての繰り返しで6時過ぎに起床。
(年をとるにつれ深夜早朝に目が覚めるようになりました(笑))
前日買っておいたパンとコーヒーをいただいたら出発です。
この日は関西圏に住む友人が休みをとって車を出してくれたので楽ちん。(^-^)
で、最初に向かったのは比叡山延暦寺。
昨年も行った場所ですが、そのときは汗だくだくだったがの車なので汗もかかず快適。
琵琶湖
前日行った大津、ボートレースびわこ(写真だと右の方)も見えました。
そのあと反対側から京都も観たのですが、なぜか写真なし。
京都タワーや平安神宮の大鳥居、御所、遠くの方に山崎方面も見えました。
ロープウェイ乗り場
昨年うっかりケーブルカーの往復チケットを買ったために
乗ることがなかった京都方面へ向かうロープウェイ。

建物が昭和だった。
向こうに見える京都
昨年は帰りこちらから帰ろうと思っていたのにどうして坂本のケーブルカーの
往復チケットを買ってしまったのだろう(そして往復とも滋賀県から)。。。
紅葉の季節はきれいなんでしょうね
って、今年の紅葉の時期はどのくらい混んでいたのでしょう。
テレビでは渡月橋や清水寺に人がたくさんいる光景が映されていましたが、
やはりロープウェイも紅葉を楽しみたい人でいっぱいだったのかな、
なんて想像しました。

比叡山延暦寺と呼ばれるエリアってものすごく広いんですよね。
(一応wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA#%E6%9D%B1%E5%A1%94
円仁派と円珍派の対立で円珍が山を下りて向かったのが前日訪れた三井寺(園城寺)。
延暦寺が山門、三井寺が寺門として対立、抗争を繰り返したという説明を読むと、
当時の仏教は派によって対立していたというのが今の時代のお寺を観ていると
穏やかに違う宗派(実家の檀家は浄土真宗)でもお参りして手を合わせられるというのは
ありがたいことです。
最初に訪れたのは東塔
最初に萬拝堂
平成にできたお堂ですが、日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩天善神を勧請し、
あわせて世界に遍満する神々もともに迎えて奉安し、日夜平和と人類の平安を
祈願していると、延暦寺のホームページに書いてありましたが、
昔の対立、抗争などから考えると宗派や宗教にかかわらず、ってことなんですね。
当時のお坊さんが見たらどう思うんだろう。。。
ここで一周回っておまいりした後は、
根本中堂
昨年も大改修中でしたが、今年もまだ改修は続いておりました。
ガラガラでした
昨年は関西弁のおばちゃんおじちゃんの団体がいた( 一一)のですが、
今年はこういう時節だったからか団体の観光客はいなくて、
個人の観光客がぽつぽつと見学していました。


かなり大がかりな改修で、2016年から10年かけての改修なので、
昨年も今年もこの状態だというのはまだまだ完成が先の話ってことですね。
参拝者を入れなければ6年で完成するところを参拝者が見学できるようにしながら
改修する計画にしたため4年延ばして10年かかるらしいです。
中は撮影禁止ですが、一部足場から写真を撮ることができるので
撮影
屋根の葺き替え
改修の様子は動画でも
費用どのくらいなんだろう
昨年、団体さんでよく見えなかった不滅の法灯も観られました。
信長の焼き討ちで一時途絶えたものの、山形県の立石寺に分灯していたものを戻して
そういう意味では最澄の時代から灯が途絶えないというのは(1200年以上?)
すごいことですよね。遠くに観ながら手を合わせました。
改修が終わるのは2026年。
先の話ですが、外観が見られるようになったら再度訪れてみたいですね。(^-^)
大講堂
今回も靴を脱いで中に上がってお参りし、ここで修業された僧のお姿に
手を合わせました。
柱に象 表情ちょっと怖め
この塚
信長さんはホトトギスが鳴かないと殺してしまう性格、
比叡山延暦寺の僧侶たちが自分にとって脅威だったから焼き討ちして殺したのだと
思いますが、学僧や子供たちまで殺したというのは残虐過ぎますよね。
これらの被害に遭われた方々の鎮魂として作られた塚、手を合わせました。
続いて訪れたのは横川
(西塔は今回もスキップしてしまいました)
円仁(慈覚大師)が建立された首楞厳院が発祥のエリア。
人も少な目の道を歩いていると
え、野生ザル?
近づかないしえさも与えないけれど、人慣れしたお猿さんがアタックしてきたら
多分パニックになるだろうな、私。
人もまばらな道を歩いて
横川中堂
本尊は聖観音立像。
1942年落雷で焼失、1971年鉄筋コンクリート造で再建されたそうで、
新しい建物だなあと思ったのですが確かに新しい建物でした。
メッカって。。
お寺の説明にメッカと書いているのってどうなんだろう、、、と
個人的には気になってしまいました。
ぼけぼけですが
恵心堂
恵心僧都源信が籠って修行された場所ですが、現在のお堂は坂本生源寺(大津市)の
別當大師堂を移築したものだそうです。
説明書きには、入寂されて1000年を迎え、天台宗では恵心僧都を讃える年として、
御修行を積まれていた横川の恵心堂で御本尊の阿弥陀如来とご縁を結ぶ五色の紐を
用意したと書いてあったのですが、中には入れず。(^^;
少々駆け足ながら昨年の東塔に続いて横川も訪れることができて、
緑をみながら穏やかな気持ちになってお参りすることができました。
この後は、お初の場所へGO♪
(つづく)
爆睡したものの夜中何度も目が覚めては寝ての繰り返しで6時過ぎに起床。
(年をとるにつれ深夜早朝に目が覚めるようになりました(笑))
前日買っておいたパンとコーヒーをいただいたら出発です。
この日は関西圏に住む友人が休みをとって車を出してくれたので楽ちん。(^-^)
で、最初に向かったのは比叡山延暦寺。
昨年も行った場所ですが、そのときは汗だくだくだったがの車なので汗もかかず快適。
前日行った大津、ボートレースびわこ(写真だと右の方)も見えました。
京都タワーや平安神宮の大鳥居、御所、遠くの方に山崎方面も見えました。
昨年うっかりケーブルカーの往復チケットを買ったために
乗ることがなかった京都方面へ向かうロープウェイ。
昨年は帰りこちらから帰ろうと思っていたのにどうして坂本のケーブルカーの
往復チケットを買ってしまったのだろう(そして往復とも滋賀県から)。。。
って、今年の紅葉の時期はどのくらい混んでいたのでしょう。
テレビでは渡月橋や清水寺に人がたくさんいる光景が映されていましたが、
やはりロープウェイも紅葉を楽しみたい人でいっぱいだったのかな、
なんて想像しました。
比叡山延暦寺と呼ばれるエリアってものすごく広いんですよね。
(一応wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA#%E6%9D%B1%E5%A1%94
円仁派と円珍派の対立で円珍が山を下りて向かったのが前日訪れた三井寺(園城寺)。
延暦寺が山門、三井寺が寺門として対立、抗争を繰り返したという説明を読むと、
当時の仏教は派によって対立していたというのが今の時代のお寺を観ていると
穏やかに違う宗派(実家の檀家は浄土真宗)でもお参りして手を合わせられるというのは
ありがたいことです。
平成にできたお堂ですが、日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩天善神を勧請し、
あわせて世界に遍満する神々もともに迎えて奉安し、日夜平和と人類の平安を
祈願していると、延暦寺のホームページに書いてありましたが、
昔の対立、抗争などから考えると宗派や宗教にかかわらず、ってことなんですね。
当時のお坊さんが見たらどう思うんだろう。。。
ここで一周回っておまいりした後は、
昨年も大改修中でしたが、今年もまだ改修は続いておりました。
昨年は関西弁のおばちゃんおじちゃんの団体がいた( 一一)のですが、
今年はこういう時節だったからか団体の観光客はいなくて、
個人の観光客がぽつぽつと見学していました。
かなり大がかりな改修で、2016年から10年かけての改修なので、
昨年も今年もこの状態だというのはまだまだ完成が先の話ってことですね。
参拝者を入れなければ6年で完成するところを参拝者が見学できるようにしながら
改修する計画にしたため4年延ばして10年かかるらしいです。
中は撮影禁止ですが、一部足場から写真を撮ることができるので
昨年、団体さんでよく見えなかった不滅の法灯も観られました。
信長の焼き討ちで一時途絶えたものの、山形県の立石寺に分灯していたものを戻して
そういう意味では最澄の時代から灯が途絶えないというのは(1200年以上?)
すごいことですよね。遠くに観ながら手を合わせました。
改修が終わるのは2026年。
先の話ですが、外観が見られるようになったら再度訪れてみたいですね。(^-^)
今回も靴を脱いで中に上がってお参りし、ここで修業された僧のお姿に
手を合わせました。
信長さんはホトトギスが鳴かないと殺してしまう性格、
比叡山延暦寺の僧侶たちが自分にとって脅威だったから焼き討ちして殺したのだと
思いますが、学僧や子供たちまで殺したというのは残虐過ぎますよね。
これらの被害に遭われた方々の鎮魂として作られた塚、手を合わせました。
(西塔は今回もスキップしてしまいました)
円仁(慈覚大師)が建立された首楞厳院が発祥のエリア。
近づかないしえさも与えないけれど、人慣れしたお猿さんがアタックしてきたら
多分パニックになるだろうな、私。
本尊は聖観音立像。
1942年落雷で焼失、1971年鉄筋コンクリート造で再建されたそうで、
新しい建物だなあと思ったのですが確かに新しい建物でした。
お寺の説明にメッカと書いているのってどうなんだろう、、、と
個人的には気になってしまいました。
恵心僧都源信が籠って修行された場所ですが、現在のお堂は坂本生源寺(大津市)の
別當大師堂を移築したものだそうです。
説明書きには、入寂されて1000年を迎え、天台宗では恵心僧都を讃える年として、
御修行を積まれていた横川の恵心堂で御本尊の阿弥陀如来とご縁を結ぶ五色の紐を
用意したと書いてあったのですが、中には入れず。(^^;
少々駆け足ながら昨年の東塔に続いて横川も訪れることができて、
緑をみながら穏やかな気持ちになってお参りすることができました。
この後は、お初の場所へGO♪
(つづく)
この記事へのコメント
lovin
うつぼ
猿に勝つつもりもなく、でも負けたくなく。(笑)
結局、会わなければいいのですが難しいですねぇ。( 一一)