やっと来ることができた福知山城、ここから中を見学します。
麒麟がくる
以前京都旅行していた時にラッピング電車を観た記憶ですが、
大河ドラマを観ないので今更wikiで調べてみたら、
明智光秀は長谷川博己さん、豊臣秀吉が佐々木蔵之介さんだったんですね。
あらすじも読んでみましたが長期間にわたるドラマだと細かく描けるというか、
食わず嫌いしないで観てみようかなと思いました。
入口でお城と近くの美術館共通券を購入して中に入ると、
お人形さん達がお迎え
え、明智光秀?どっち?と思って説明を読んだところ、
戦国時代の名残を示す古い様式のひとつ「上段の間」で、この再現場面は
松平忠房候の時代、と書いてありました。明智光秀じゃなかった。(^-^;
明智軍紀
明智光秀を主人公とした軍記物(作者不明)で、全10巻。(元禄時代に大阪で発行)
明智氏が土岐一族で斉藤道三に仕え、道三没落後、美濃を脱出し、山崎の戦の後、
小栗栖で殺されるまでが著述されているそうですが、軍記物であるため史料価値は
低いという説明でした。(脚色が多いということなのでしょうね)
明智光秀像
明治時代の作品。陣幕を背にした甲冑姿の明智光秀像。
天正10年(1582)6月13日、大山崎で羽柴秀吉軍と戦った時の様子を
描いたと言われているそうです。右田年英作。
木造明智光秀坐像
日下寛治作。昭和34年(1959)の作品だそうです。
絵だと勇ましい雰囲気の明智光秀も坐像になると威厳があるというか
落ち着いた雰囲気ですね。
アルミ缶回収の収益金で購入したという説明
訪れた時は新規感染者も少なくなっていたころですが、
記事をアップしている時期は第八波で感染者数が増加していますし、
私も感染予防につとめないとという気持になります。
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このお部屋
竜王戦の第4局が行われたお部屋ですが、ここでは藤井竜王が勝利されたんですね。
私が訪れたのは対局の1か月くらい前の話ですが、自分が訪れたところで大きな対局が
行われるというのはどこか不思議な心持です。
この第4局開催前、お城の維持などを目的にクラウドファンディングで170万円くらい
集まり、藤井竜王と広瀬八段が地元お子さんたちと交流された記事も観ましたが、
子供たちと一緒に写真におさまる藤井竜王と広瀬八段、対局を翌日に控える中、
子供たちと一緒に笑顔でいるのが凄いです。(逆にリラックスできてよいのかも)
桜の季節ってやっぱりいいですねえ
シアターのナレーションは三宅アナ
落ち着いた語り口がよかったです。
光秀の言葉から始まり
命を落とすまで光秀の生涯が描かれますが、途中登場する秀吉を演じる俳優さんの表情が
猿っぽいのが印象的でした。(エンドロールもないので演じた方のお名前は不明)
織田信長の指示に従ってあちこちで戦っていた光秀の妻ひろこが光秀のために苦労した姿も
描かれていました。
動画でも描かれていましたが、光秀が主君の信長を殺害した理由は謎なんですね。
その後とった天下もたった11日で終わるというのが(味方と思っていた人達に裏切られ)
切ない、、と思いながら見終わりました。
こういう歴史ものって、どの立場から見るかで見方も変わると思いますが、このシアターで
観た光秀は真面目で実直であるが故に(狡猾さが少なかったような)自ら思うように
天下をとることができなかったのかもしれないように思いました。
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戦国期における最大のクーデーターといわれる本能寺の変、その動機に数多くの説が
あるという説明でしたが、光秀ノイロ―ゼ説なんていうんもあるんですね。
また主犯が光秀以外に存在するという説も書いてありましたが、それほど謎の多い
クーデターということなんだと昔教科書で知った「本能寺の変」の謎の深さを
今回知ることができました。
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お城の模型を観ながら展示を見続けていると、
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明智光秀が福知山で行ったこと(功績)の説明がありましたが、
福知山城の築城だけでなく、城下町の整備として、縄張(川を埋めて場内に取り込む)、
城郭(新しい都市計画)、また、免税(地子錢(土地税)免除)、信仰(御霊神社建立)、
法律(明智光秀家中軍法)を整備したという説明を観て、福知山を発展させるために
市井の人達のことも考えて整備していったように思いました。
本能寺の変の説明
光秀の行動の謎も含めて説明してありましたが、もうちょっと日本史を学ばないと
という気持になりました。
ひろこ
光秀の2番目の奥さんで、苦しい家計で時に自分の黒髪を売ってお金を工面するなど
苦労の多い方だったようで、シアターで観ていても健気な姿が切なかったのですが、
光秀のこと好きだったのでしょうね。(と思いたい)
上段の間に戻ってきました
この後は、天守閣に向かって上っていきます。
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光秀に栗に和牛。ふるさと納税、今年は福知山市にしようかなと思います。
一般からアイデアを募っているプロジェクト
面白かったのが、本能寺の変 原因説50総選挙(略して#HNG50 )でした。
1位に選ばれたのが暴君討伐説(信長非道説)で、光秀が信長のあまりの非道を
許すことができず正義のために討った、という説。
確かに、シアターで観ていた時も、信長に次々と戦いにいくよう指示されて
家に帰ることなく戦い続けていた場面もあったりして、信長非道説というのも
強ち嘘でもなさそうな、という気持になりました。
何バチ?(スズメバチだったら即逃げる)
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以前京都旅行していた時にラッピング電車を観た記憶ですが、
大河ドラマを観ないので今更wikiで調べてみたら、
明智光秀は長谷川博己さん、豊臣秀吉が佐々木蔵之介さんだったんですね。
あらすじも読んでみましたが長期間にわたるドラマだと細かく描けるというか、
食わず嫌いしないで観てみようかなと思いました。
入口でお城と近くの美術館共通券を購入して中に入ると、
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え、明智光秀?どっち?と思って説明を読んだところ、
戦国時代の名残を示す古い様式のひとつ「上段の間」で、この再現場面は
松平忠房候の時代、と書いてありました。明智光秀じゃなかった。(^-^;
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明智光秀を主人公とした軍記物(作者不明)で、全10巻。(元禄時代に大阪で発行)
明智氏が土岐一族で斉藤道三に仕え、道三没落後、美濃を脱出し、山崎の戦の後、
小栗栖で殺されるまでが著述されているそうですが、軍記物であるため史料価値は
低いという説明でした。(脚色が多いということなのでしょうね)
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明治時代の作品。陣幕を背にした甲冑姿の明智光秀像。
天正10年(1582)6月13日、大山崎で羽柴秀吉軍と戦った時の様子を
描いたと言われているそうです。右田年英作。
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日下寛治作。昭和34年(1959)の作品だそうです。
絵だと勇ましい雰囲気の明智光秀も坐像になると威厳があるというか
落ち着いた雰囲気ですね。
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訪れた時は新規感染者も少なくなっていたころですが、
記事をアップしている時期は第八波で感染者数が増加していますし、
私も感染予防につとめないとという気持になります。
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竜王戦の第4局が行われたお部屋ですが、ここでは藤井竜王が勝利されたんですね。
私が訪れたのは対局の1か月くらい前の話ですが、自分が訪れたところで大きな対局が
行われるというのはどこか不思議な心持です。
この第4局開催前、お城の維持などを目的にクラウドファンディングで170万円くらい
集まり、藤井竜王と広瀬八段が地元お子さんたちと交流された記事も観ましたが、
子供たちと一緒に写真におさまる藤井竜王と広瀬八段、対局を翌日に控える中、
子供たちと一緒に笑顔でいるのが凄いです。(逆にリラックスできてよいのかも)
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落ち着いた語り口がよかったです。
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命を落とすまで光秀の生涯が描かれますが、途中登場する秀吉を演じる俳優さんの表情が
猿っぽいのが印象的でした。(エンドロールもないので演じた方のお名前は不明)
織田信長の指示に従ってあちこちで戦っていた光秀の妻ひろこが光秀のために苦労した姿も
描かれていました。
動画でも描かれていましたが、光秀が主君の信長を殺害した理由は謎なんですね。
その後とった天下もたった11日で終わるというのが(味方と思っていた人達に裏切られ)
切ない、、と思いながら見終わりました。
こういう歴史ものって、どの立場から見るかで見方も変わると思いますが、このシアターで
観た光秀は真面目で実直であるが故に(狡猾さが少なかったような)自ら思うように
天下をとることができなかったのかもしれないように思いました。
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戦国期における最大のクーデーターといわれる本能寺の変、その動機に数多くの説が
あるという説明でしたが、光秀ノイロ―ゼ説なんていうんもあるんですね。
また主犯が光秀以外に存在するという説も書いてありましたが、それほど謎の多い
クーデターということなんだと昔教科書で知った「本能寺の変」の謎の深さを
今回知ることができました。
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お城の模型を観ながら展示を見続けていると、
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明智光秀が福知山で行ったこと(功績)の説明がありましたが、
福知山城の築城だけでなく、城下町の整備として、縄張(川を埋めて場内に取り込む)、
城郭(新しい都市計画)、また、免税(地子錢(土地税)免除)、信仰(御霊神社建立)、
法律(明智光秀家中軍法)を整備したという説明を観て、福知山を発展させるために
市井の人達のことも考えて整備していったように思いました。
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光秀の行動の謎も含めて説明してありましたが、もうちょっと日本史を学ばないと
という気持になりました。
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光秀の2番目の奥さんで、苦しい家計で時に自分の黒髪を売ってお金を工面するなど
苦労の多い方だったようで、シアターで観ていても健気な姿が切なかったのですが、
光秀のこと好きだったのでしょうね。(と思いたい)
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この後は、天守閣に向かって上っていきます。
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光秀に栗に和牛。ふるさと納税、今年は福知山市にしようかなと思います。
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面白かったのが、本能寺の変 原因説50総選挙(略して#HNG50 )でした。
1位に選ばれたのが暴君討伐説(信長非道説)で、光秀が信長のあまりの非道を
許すことができず正義のために討った、という説。
確かに、シアターで観ていた時も、信長に次々と戦いにいくよう指示されて
家に帰ることなく戦い続けていた場面もあったりして、信長非道説というのも
強ち嘘でもなさそうな、という気持になりました。
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天守閣から福知山の景色を眺めたら入口に戻ってお城を出ました。
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井戸の深さは50m、城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ、海抜が43mなので
井戸底が由良川の河床よりも深く海面下7mに達している井戸だそうです。
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お金を入れた時から「時は今!」みたいに話し始めて、お茶が出てきたら、
どっこいせーーどっこいせー、福知山、
周囲にいた人が一斉に自販機に注目するくらいの大音量で、買っている本人(私)は
気恥ずかしい気持ちに満たされながらお茶をもってお城をあとにしました。
この後は、もう一か所ちょっと寄り道してからランチです。(^-^)
(つづく)
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