「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
という展示タイトルからしてなんだろう、と興味が湧くのですが、
れんが倉庫オーナーの吉井さんによる言葉だったことを知って
吉井さんが奈良さんのファンであったということもありますが、
たられば、みたいなこと、一つのきっかけで大きく動く事を感じながら
展示の見学を勧めます。
wikiを観ると、戦後からシードルづくりを始めて、フランスから技術顧問を招いて
指導を受けて昭和30年代(1950年代)に「朝日シードル」を販売したものの、
当時の日本人の嗜好に合わず計画の3分の1しか売れなかった、、そして、
ニッカウヰスキーに譲渡され、東北向けのウィスキー製造も行っていたものの、
その後手狭になって移転したため、酒造を行っていたのはそれまでで、その後は倉庫として
使われていたそうです。
時代のニーズになかなか合わなかったというのが残念ですが、
今、弘前ではシードルが製造されるようになっていて人気ありますもんね。
私自身は、大学生の頃、イギリスの地方都市に留学していた同級生を訪ねた時、
大学、ドミトリーや銀行など生活に必要な施設が一体となった町みたいなところで
当然、ここの学生が大半のパブでサイダー(シードルの英語読み)を呑んだのが最初。
ドライタイプ(辛口)がさっぱり美味しかった、のですが、日本に戻ってから呑まなく
なったものの、こうやって記事を書いていたら呑みたくなりました。(^-^;
吉井さんの一言からここまで活動が広がっていったんですね。
壁に飾ってあったり、アルバムに入っていたり、
ものすごくたくさんの写真、展示会を作り上げていく皆さんの写真に溢れていました。
上右(の右側に立つ男性)は奈良さん、みたいですね。(^-^;
先に進むと、当時の展示された雰囲気を楽しめるコーナーがありました。
奈良さんの作品、どこかクスっと笑えたり、脱力したりという印象ですが、
特に地元の方々が展示会を訪れて楽しまれている姿を想像しました。
触っては観ましたが、乗るのはさすがに(壊す可能性もあるし)、、と断念。
当時のれんが倉庫の風景(今より周囲が緑でいっぱい)や展示風景の写真を見たら、
(つづく)
この記事へのコメント
夏炉冬扇
経験あります。格が違うと勇気がいります。
ピロル菌、妻です。私はずっと以前に退治。アルコールはメッですね。
溺愛猫的女人
Yoichiro-Honda
写真を見ると、やはり、お酒の世界が連想出来ました。
僕は、おとといの土曜は悪天候で何処へも行けませんでしたが、昨日の日曜に、JRの休日おでかけパスで武蔵五日市に向かいました。
東京都と言っても、秋川渓谷等、地方の風景が味わえる場所です。
往復とも、逗子から横須賀線、横浜線、八高線、五日市線のコースでした。
昼食は、天ざるうどんで、やはり冷酒も楽しみました。
帰りは、乗り換えの横浜で改札を出て、西口を散策しました。
高島屋やヨドバシ等で有名ですが、ストリートミュージシャン(ギターと歌の女性2人組)が活躍しており、スリーショット写真が撮れました。
僕は、旅行した記念としてツーショットやスリーショットを頼むのが好みですが、着物だけにこだわるわけじやなく、どの様なスタイルでも良いのです。
自分は、やはり弊社の制服だったので、相手は異例だと思ったかも知れません。
今回の旅行も、充実感あります。
うつぼさんも、その地の特色を追求されているのですね。
うつぼ
ピロリ菌、奥様でしたか。早く退治できますようにお祈りしています。
今回の展示会を観て声をかけるのは勇気が要るなあと思いました。
私が吉井さんの立場だったら同じように電話をかけて言えたかな、
なんて考えたのですが、声をかけた吉井さんの前向きな気持ちのお陰で
今があると思うと感謝の念でいっぱいです。(^-^)
うつぼ
戦後に青森で地元のリンゴを使ったシードルがつくられていたというのを
知って私も驚いたのですが、当時は時代を先取りし過ぎたのでしょうね。
昨年、弘前の駅ビルでシードルをいただきましたが、海外のものよりも
優しくて繊細な味わいかな、と思いました。(^-^)
うつぼ
私自身はあまり計画性のない旅(出発直前に慌てて調べるタイプ)で
なんとかなるかなという感じです。(^-^;
れんが倉庫、確かに横浜には大きな倉庫があったのを思い出しました。
休みの日に出かけるとお昼に呑むことが贅沢に思えますが、ホンダさんも
今回の楽しまれたようですね。