(+o+)オハヨウゴザイマス。 京都滞在3日目の朝です。
前日早朝から飛ばした上に迷子が原因で歩きすぎたのもあってくたびれて、
この日予定していた清水寺&八坂の塔への朝練を諦めて二度寝しました。
(年齢を考えて行動しないといけないな、と反省しました(^^;)
二度寝して起きた後は、朝ごはんを食べて(なぜか写真なし)
四条から地下鉄で十条駅まで行ってここからバスで移動と思ったら、
Googleマップで表示されているバス停の場所にバス停なく(道の真ん中(笑))
バス停を見つけた、と思ったらバス出発した後でした。。。
時刻表を見ると次のバスは30分後。
違うルートを探しても結局着くのは同じだろう、と近くをぶらぶらして
バスを待つことにしました。
バス停から見える京阪バスの大きなビル
Googleマップも頼り切るとダメですね。反省。(^-^;
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石田湯
表通りからちょっと中に入った住宅の多い一角で見かけた銭湯。
京都って銭湯が意外と多いイメージですが、私が住んでいるエリアは
どんどん銭湯が減って(月一度くらいのペースで通っていたのですが)
こういう光景を見ると羨ましい気持ちになります。
この後、無事バスに乗って30分くらいで醍醐寺に到着しました。
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(醍醐寺ホームぺージ) https://www.daigoji.or.jp/
初めてきたお寺です。
平安時代に空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)によって開山、
相変わらずwikiに教えてもらいました。世界遺産です。
豊臣秀吉が晩年に「醍醐の花見」を行った場所なんですね。
と、wikiを見たら正室やら側室やらが輿の順番で揉めたというエピソードの方が
気になってしまったお花見です。
大河ドラマを全くみないため、彼女たちのドラマ(ありますよね、多分)、
結構女のドロドロした争いとかもありそうだな、なんて想像しました。
今回は、冬の特別拝観「京の冬の旅」で公開されていた三宝院と理性院を見学します。
特別公開(という言葉に弱い(笑))
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最初は三宝院
拝観料を支払って三宝院の敷地内に入ると、
いきなり売店(物販熱心)
太閤しだれ桜
満開になったらきれいなんでしょうねぇ。(想像)
リーフレットには五重塔(これは違うエリアにあります)
醍醐寺の塔頭のひとつである三宝院は平安時代に創建された後、
応仁・文明の乱(1467-77)で被害を受けて荒廃したそうですが、
その後、慶長3年(1598)豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に
秀吉・秀頼援助のもと復興、秀吉が庭園に「藤戸石(覇者の象徴)」を主人石として
配置する力のいれようだったといただいたリーフレットに書いてありました。
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頂いたリーフレットを手に中に入ると、
立派なお餅が飾ってありました。
昔はこういう(紅白ではないけれど)お餅を見る機会がありましたが、
今はなかなか見ることもなく暫し目が釘付けになりました。
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最初に通ったのは葵の間。名前の通り葵の襖絵がありました。
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続く秋草の間、勅使の間には長谷川等伯一派の「秋野図」などが、
表書院
石田遊汀の「孔雀と蘇鉄」、ちょっと南国な雰囲気の襖絵でした。
表書院は下段(27畳)、中段(18畳)、上段(15畳)と続いていて、
下段の間は畳を上げると能舞台になる「揚舞台の間」と呼ばれているそうです。
この絵が飾ってあるのは下段の間、ここが能舞台にもなるのですね。
前日早朝から飛ばした上に迷子が原因で歩きすぎたのもあってくたびれて、
この日予定していた清水寺&八坂の塔への朝練を諦めて二度寝しました。
(年齢を考えて行動しないといけないな、と反省しました(^^;)
二度寝して起きた後は、朝ごはんを食べて(なぜか写真なし)
四条から地下鉄で十条駅まで行ってここからバスで移動と思ったら、
Googleマップで表示されているバス停の場所にバス停なく(道の真ん中(笑))
バス停を見つけた、と思ったらバス出発した後でした。。。
時刻表を見ると次のバスは30分後。
違うルートを探しても結局着くのは同じだろう、と近くをぶらぶらして
バスを待つことにしました。
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Googleマップも頼り切るとダメですね。反省。(^-^;
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表通りからちょっと中に入った住宅の多い一角で見かけた銭湯。
京都って銭湯が意外と多いイメージですが、私が住んでいるエリアは
どんどん銭湯が減って(月一度くらいのペースで通っていたのですが)
こういう光景を見ると羨ましい気持ちになります。
この後、無事バスに乗って30分くらいで醍醐寺に到着しました。
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(醍醐寺ホームぺージ) https://www.daigoji.or.jp/
初めてきたお寺です。
平安時代に空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)によって開山、
相変わらずwikiに教えてもらいました。世界遺産です。
豊臣秀吉が晩年に「醍醐の花見」を行った場所なんですね。
と、wikiを見たら正室やら側室やらが輿の順番で揉めたというエピソードの方が
気になってしまったお花見です。
大河ドラマを全くみないため、彼女たちのドラマ(ありますよね、多分)、
結構女のドロドロした争いとかもありそうだな、なんて想像しました。
今回は、冬の特別拝観「京の冬の旅」で公開されていた三宝院と理性院を見学します。
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拝観料を支払って三宝院の敷地内に入ると、
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満開になったらきれいなんでしょうねぇ。(想像)
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醍醐寺の塔頭のひとつである三宝院は平安時代に創建された後、
応仁・文明の乱(1467-77)で被害を受けて荒廃したそうですが、
その後、慶長3年(1598)豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に
秀吉・秀頼援助のもと復興、秀吉が庭園に「藤戸石(覇者の象徴)」を主人石として
配置する力のいれようだったといただいたリーフレットに書いてありました。
-74d72.jpeg)
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頂いたリーフレットを手に中に入ると、
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昔はこういう(紅白ではないけれど)お餅を見る機会がありましたが、
今はなかなか見ることもなく暫し目が釘付けになりました。
-a4222.jpeg)
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最初に通ったのは葵の間。名前の通り葵の襖絵がありました。
-1bc05.jpeg)
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続く秋草の間、勅使の間には長谷川等伯一派の「秋野図」などが、
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石田遊汀の「孔雀と蘇鉄」、ちょっと南国な雰囲気の襖絵でした。
表書院は下段(27畳)、中段(18畳)、上段(15畳)と続いていて、
下段の間は畳を上げると能舞台になる「揚舞台の間」と呼ばれているそうです。
この絵が飾ってあるのは下段の間、ここが能舞台にもなるのですね。
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有名なお寺に行くと海外からの観光客が座り込んだり寝そべったりしているのを
よく見かけてちょっと嫌な気分になるのですが(ここはお寺なんだよと言いたくなる)
こんな注意書きが書いてあるってインバウンドが多かった頃は酷かったのかな、
なんて思いました。
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太閤秀吉が醍醐の花見で使用した建物を槍山から移築したものと言われています。
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と思ってリーフレットを見たら、平成になってから浜田泰介画伯によって
描かれたと書いてありました。
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快慶作の弥勒菩薩が特別公開されて見ることができました。
弘法大師と理源大師にも手を合わせて入口に戻り、
御朱印(種類色々あって結局全部いただいてしまいました)をいただいて、
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(つづく)
この記事へのコメント
溺愛猫的女人
うつぼ
本当にこういうお餅を見る機会って最近はなかなかないですよね。
赤ちゃんに背負わせて、、、テレビで観たことがありますが、
作る職人さんも減っているのかもしれませんね。。
夏炉冬扇
銭湯好きですが、この近辺、ないような。
うつぼ
古い襖絵も出来たころは鮮やかだったのでしょうね。
平成の新しい襖絵は建物の古さに反して鮮やかでした。
銭湯、小さい頃はほぼ毎日近所で通っていましたが(半世紀前くらい)
維持運営も大変なのでしょうね。時の流れなのだと思います。。。