オシャレな雰囲気の中でランチした後は、再び土砂降りの中を歩く、と思ったら、
雨が小降りになっていてホッとしました。
今度はクルーズ船に乗って寄港したいです
30分弱歩けば目的地だったのですが、
Googleマップで示された道のもう一本向こうを左折してしまい(なぜか)
10分くらい行ったところで間違いに気づいて曲がり角ポイントに戻って、
正しい方向に進んだため、結果的には45分くらい歩いている自分がおりました。
(京都での方向間違いに比べると大したことないような気がしています(笑))
無事、正しい方向に進み始めたところで、ピクミンブルームで見つけたスポットに
サンタさんを発見
大野港のバス停からからくり記念館に向かう途中でもこのサンタを見かけたのですが、
このエリアでは木を斜めに切って絵を描く風習があるのか、、謎です。
寒かったので途中で洗手間休憩
(洗手間を使わせていただいたのでちゃんとお買い物しました)
煮干しの香りがするラーメン屋さんを通過し
おまわりさん(緊張)
今の詐欺、結構巧妙なんですよね
婆1号にも知らない人から電話があって兄や私の振りをしたら「合言葉は?」と
聞くように言い聞かせています。(一般的な家庭ではあり得ない言葉を設定(笑))
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やっと到着
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北前船の大錨を見ながら中へ
入館料は500円です
(銭屋五兵衛記念館ホームぺージ)https://www.zenigo.jp/
和傘・水引展も開催中
と、看板を見ながら中に入ると、
五兵衛さん、はじめまして
(入口正面の高いところに五兵衛さんの凧が飾ってありました)
訪れる前に軽く調べていったのですが、
銭屋五兵衛さんは1773年(安永2年)金沢生まれ、両替商(屋号が銭屋)の六代目で、
17歳で家督を継いだ後、50代後半で家業を息子に継がせた後は、北前船で海運業を営み、
大海運業者として加賀藩の経済に貢献したものの、反対勢力によって無実の罪で獄死。
という、栄華を誇ったもののその後、彼の活躍を妬む勢力によって悲しい結末となった
そんなイメージでした。
と、最初から悲しい気持ち(予習するとそういうことになるんですね(:_;))のまま
展示コーナーを進みます。
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銭屋(両替商)の店構え(復元)と使われていた道具の展示。
銭屋五兵衛(幼名は茂助)が生まれた宮腰(みやのこし)の下通町から隣の越前町まで
銭屋一族の店や屋敷が多くあったそうで、五兵衛26歳の時、町の中心である味噌屋町に
本宅を移し、従来の質商の他に古着・呉服商を始め、以前住んでいた旧宅と醤油醸造を
弟(又五郎)に譲り、味噌屋町の組合頭、貯用銀裁許などの町の役職を歴任、
40歳の時、木材問屋職に就任したことで海運事業拡大のきっかけをつかんだそうです。
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両替商の看板?
展示の説明を読んで、この三ケ条を見ると、五兵衛さんというのは実行の人、
というイメージを持ちました。判断力、決断力に長けた人だったのでしょうね。
と、最初の展示から出来た人間のイメージで見学している己を振り返ると
何だか恥ずかしい気持ちになってしまいましたが、この先の展示も楽しみです。(^-^)
(つづく)
雨が小降りになっていてホッとしました。
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Googleマップで示された道のもう一本向こうを左折してしまい(なぜか)
10分くらい行ったところで間違いに気づいて曲がり角ポイントに戻って、
正しい方向に進んだため、結果的には45分くらい歩いている自分がおりました。
(京都での方向間違いに比べると大したことないような気がしています(笑))
無事、正しい方向に進み始めたところで、ピクミンブルームで見つけたスポットに
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大野港のバス停からからくり記念館に向かう途中でもこのサンタを見かけたのですが、
このエリアでは木を斜めに切って絵を描く風習があるのか、、謎です。
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(洗手間を使わせていただいたのでちゃんとお買い物しました)
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婆1号にも知らない人から電話があって兄や私の振りをしたら「合言葉は?」と
聞くように言い聞かせています。(一般的な家庭ではあり得ない言葉を設定(笑))
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(銭屋五兵衛記念館ホームぺージ)https://www.zenigo.jp/
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と、看板を見ながら中に入ると、
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(入口正面の高いところに五兵衛さんの凧が飾ってありました)
訪れる前に軽く調べていったのですが、
銭屋五兵衛さんは1773年(安永2年)金沢生まれ、両替商(屋号が銭屋)の六代目で、
17歳で家督を継いだ後、50代後半で家業を息子に継がせた後は、北前船で海運業を営み、
大海運業者として加賀藩の経済に貢献したものの、反対勢力によって無実の罪で獄死。
という、栄華を誇ったもののその後、彼の活躍を妬む勢力によって悲しい結末となった
そんなイメージでした。
と、最初から悲しい気持ち(予習するとそういうことになるんですね(:_;))のまま
展示コーナーを進みます。
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銭屋(両替商)の店構え(復元)と使われていた道具の展示。
銭屋五兵衛(幼名は茂助)が生まれた宮腰(みやのこし)の下通町から隣の越前町まで
銭屋一族の店や屋敷が多くあったそうで、五兵衛26歳の時、町の中心である味噌屋町に
本宅を移し、従来の質商の他に古着・呉服商を始め、以前住んでいた旧宅と醤油醸造を
弟(又五郎)に譲り、味噌屋町の組合頭、貯用銀裁許などの町の役職を歴任、
40歳の時、木材問屋職に就任したことで海運事業拡大のきっかけをつかんだそうです。
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展示の説明を読んで、この三ケ条を見ると、五兵衛さんというのは実行の人、
というイメージを持ちました。判断力、決断力に長けた人だったのでしょうね。
と、最初の展示から出来た人間のイメージで見学している己を振り返ると
何だか恥ずかしい気持ちになってしまいましたが、この先の展示も楽しみです。(^-^)
(つづく)
この記事へのコメント
溺愛猫的女人
夏炉冬扇
合言葉、知りたいなぁ。
うつぼ
気を使ったサンタさん(小人?)、あちこちで見かけました。
軒先に置いてあるだけで何だかほっこりしますね。(^-^)
うつぼ
展示を見ていたら不運の人なのですが、ちょっとツッコミどころのあるような
話もあって意外と面白かったです。
合言葉は、、、教えると軽蔑されそうなので言えません。(笑)